
沖縄慰霊の日に思う
今年の沖縄慰霊の日に、平和の詩「おばあちゃんの歌」が朗読されました。私は、沖縄で21歳の時、終戦をむかえた義父と重ねて聴きました。
私の娘が小学4年生の夏休み、「身近な人に戦争のことを聞いてくる」という課題が出され、同居していた祖父(義父)に、沖縄戦のことを話してほしいと頼みました。義父は、毎年6月に沖縄での戦友会(慰霊の式)に参加していましたが、自分の息子たちには、戦争中のことを全く話してなかったそうです。
「4月のある日、海がアメリカ軍の艦船で埋まり、激しい艦砲射撃が始まった。近くの山の半分がなくなり、部隊は、防空壕に入った。隣の部隊に自転車で向かっている時、戦闘機から射撃を受けサトウキビ畑に逃げ込んだ。水を汲みに池に行った時も、射撃を受け土手の窪みに隠れたが、隣の兵士は血まみれになっていた。6月下旬、隊長が部隊を解散すると言って、全員に手榴弾が渡された。」
その後、捕虜になり、米軍の病院で体内に残っていた銃弾を摘出してもらったそうです。
担当の若い軍医は、「もうすぐ徴兵期間が終わるので、故郷の農家に帰る。」と明るく話し、日本軍との違いに驚いたと言いました。
戦後50周年に「平和の礎」ができた式典で、その軍医と義父は再会し、笑顔で握手したそうです。
戦後80年になり、戦争の記憶を残すことが年々難しくなっています。子どもたちの世代に語り継ぐことを大事にしたいと思います。終戦時、500人いた部隊で生き残ったのは十数人でした。
義父には、改めて「命をつないでくれて ありがとう」と伝えたいです。
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